Q&Q日記!  宮崎の風景・時事雑感・食べ物所感・歴史所感・映画・TV所感・スポーツ所感等々を書きます。

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2 0 1 5 年 10 月

平成27年10月31日(土)

< ノートの進化 >


紙を思考の場に―。

今、アイデア錬磨を目的に罫線やとじ具を刷新して使い
勝手を高めた新種ノートが存在感を高めているそうだ。

「アイデアノート・エディット」は、ドット状の罫線をあしらい
本体形状をパソコンなどと同じ横長として、情報分析や
構造の把握に向くという。

「スチューデントSOSイージーノーツ」は方眼罫紙を採用
し、図表やグラフをきれいに書いたり段落分けをしたり
するのに便利とのこと。

専用アプリを使えば、スマホで撮影しているデジタルデ
ータにできるそうだ。

「ツイストノート」は、とじ具を開閉して用紙を入れ替え
られるのは従来のバインダーノートと同じだが、リング
素材に金属より薄く軽い樹脂を採用。

表表紙を一回転させて裏表紙とくっつけられるので記入
時にかさばらないとのこと。

人間の一番の価値である「創る」行為を促す要としての
ノートの進化。

進化するのは結構なことだが、従来のノートを工夫すれ
ば、色々の事に対応できると思うのだが・・・・・。

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平成27年10月30日(金)

< 最古の路面電車 >

ブリル社は、米国フィラデルフィアを拠点に、路面電車や
軽便鉄道の車輌づくりで一世の風靡し、世界各国に車体
や台車を輸出したことでも鉄道界の有名ブランド。

そのブリル社の台車を履く明治生まれの路面電車が1台、
現役で活躍しているそうだ。

長崎電気軌道168号の生まれは明治44年。

九州電気軌道の車輌として誕生ののち、昭和17年から
は西鉄や福岡市内線で活躍したが、昭和33年に長崎電
気軌道で使われるようになったようだ。

以来、長崎市内を走り回っていたが、現在は動態保存さ
れ、年に数回の営業運転と貸し切りイベントなどに利用
されているそうだ。

外観は長崎電気軌道創業時の焦げ茶色。

車内は落ち着いたベージュ色に塗られ、板張りの床と赤
いモケット張りのベンチが温かい雰囲気を醸し出している
そうだ。

雨の日にはこの電車を出さず、木製であることを配慮し、
少しでも未来に引き継ごうとしているそうだ。

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平成27年10月29日(木)

< フランス語の響きで街おこし >


宮崎県小林市が地元方言の「西諸(にしもろ)弁」を生か
したユニークな地域振興策に力を入れているようだ。

フランス人男性が西諸弁で市の魅力を紹介するユーモラ
スなPR動画は公開1カ月で再生140万回を突破。

小林市に住むフランス人が豊かな自然や人々の温かさを
母国語で紹介していると思ったら、実は全て西諸弁―。

西諸弁はつまる音や短音が多く、フランス語のように聞こ
えるというのがヒントになったようだ。

この動画は市が昨年度から始めたプロジェクトの一つ。

小林らしい風景、食、文化、伝統などの魅力を全国に発信
する事業だそうだ。

背景には人口減少への危機感があるようだ。

人工減少対策は自治体が抱える最重要課題。

各自治体同士の企業誘致や移住促進の競争の中で、西諸
弁は小林らしさを全国に売り込む重要な「道具」になりつつ
ある。

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平成27年10月28日(水)

< たこ焼き考 >


たこ焼きは大阪が発祥地とされている。

現存するたこ焼きは、3種に分類することができるそうだ。

一つは明治半ばにはあったと思われる、今はだしにつける
ことで有名な卵焼き、明石焼きという名前である。

二つは昭和初期に生まれたのがたこ焼き。

これはラヂオ焼きから発展したもので、当初は醤油味で
何もつけずに食べるものだったようだ。

三つは濃厚ソースをつけて、青のり、カツオの粉などを
ふりかけた、現在では最もオーソドックスなもの。

これは昭和20年代後半から30年代にかけて登場。

大阪のたこ焼きの元祖が上記二.

昭和8年にラヂオ焼きなるものが始まり、昭和10年頃
に醤油味のたこ焼きが登場。

このように考えると、たこ焼きの原点は縁日などに出る
屋台のもので、主に子ども相手のお菓子だったのでは
ないか。

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平成27年10月27日(火)

< 郵便小包 >


宅配便が普及する以前、小荷物を送ると言えば、ほとんど
郵便小包。

当時は宅配便はなかった。

そしてその荷造りにもいろいろ細かい取り決めがあった。

包装紙の制約。

荷物には十字に紐をかけた。

さらに、その紐に宛先を記入した針金付きの荷札をくくり
つけなければなかった。

そうやって出きた荷物を郵便局の窓口に持っていくと細か
くチェックされたものだ。

郵便小包とは別に鉄道小荷物があり、一般的に「チッキ」
と呼ばれていた。

このチッキは小荷物を駅まで運び、送り先の駅まで取りに
行かなければなかった。

そして1976年宅配便が登場。

選択肢も便利さも格段に向上。

その後、郵便局も同様のサービスを開始。

1986年、不便なチッキは廃止。

宅配便を始めたヤマトの先見の明やよし。

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平成27年10月26日(月)

< 出島 >


長崎市の出島は長崎有数の観光スポット。

「美しい日本の歴史的風土100選」に、市内の外国人居留
地などともに選ばれているそうだ。

その出島、今、二大プロジェクトが進行中のこと。

1年後には6棟の復元構造物が完成、2017年末には出島
表門橋が架かるようだ。

明治以降、周囲が埋め立てられ、島ではなくなったが、
橋ができれば、この橋から出島に渡れるようになるよう
だ。

出島は1636年に完成し、ポルトガル人を収容したが、
その後、ポルトガル船来航が禁止され、1841年にオラン
ダ商館が平戸から移り、鎖国時代に唯一世界に開かれ
た窓だった。

今回のプロジェクトで出島内の建物はほとんど復元され
るが、ただ路面電車やオフィスビルに囲まれ、かっての
面影はないようだ。

ただ長期的には出島の周囲に水面を確保し19世紀初め
の扇形の出島の完全復元の計画もあるとのことだ。

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平成27年10月23日(金)

< テーブル >


食卓といえば、丸くとも四角でも大きな1つの台のことで、
テーブルのこと。

日本では食事を盛るのは最初は折敷(おしき)。

床に板を置き、その上に椀や皿を並べたようだ。

折敷に脚や台がついて膳になり、それも一人に一つの
銘々膳。

チャブ台の元になった円形甲板がついた食卓が出たのは
明治24年。

このチャブ台が狭い部屋でもすぐ片付けられることから徐々
の普及。

これなら家族が同じ食卓で同じ物を食べることができる。

このチャブ台は大正末から昭和初期にかけて一般家庭に
普及したようだ。

チャブ台はそれまでの上座、下座の区別をなくし、伝統的
な家制度も変えたようだ。

戦後、昭和30年代以降公団住宅ができダイニングテーブル
が使用されるようになった。

これがその後家庭の茶の間がダイニングと呼ばれるように
なり、一般化していったようだ。

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平成27年10月22日(木)

< 風船ガム >


昭和30年代、子どもたちの間ではガムと言えば
ハリス。

特に風船ガムが人気で子どもたちは口の中でクチャ
クチャやっていた。

そしてガムの甘味がなくなると、それを合図に風船ガム
のふくらませが始まる。

自分の顔ほどの大きさにできる“達人”がいる一方て゜、
どうしても、ガムが口から飛び出してしまう不器用な子ど
ももいたものだ。

ちようどその頃、TVドラマ「名犬リンチンチン」が人気で、
CM提供がハリスだったことからハリスガムの人気の要因
となっていたようだ。

そんな子供に人気のあったハリスも、カネボウと合併統合、
さらに何度か社名が変わって、いつしかその名前を耳にする
ことがなくなった。

今、ガムと言えばロッテ。

他の菓子メーカーは製造しているのだろうか。

昭和30年代、甘味に飢えてした子どもたちは、ガムに飛び
ついたが、種々のお菓子があふれている現代の子どもたち
は、飛びついてくるだろうか。

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平成27年10月21日(水)

< カンロ飴 >

シニアを中心に固定ファンが多い「カンロ飴」が発売60
周年を迎えたという。

カンロ飴は醤油を使った大玉のアメで、ほのかな甘味
と醤油の奥深さが魅力。

1955年に売り出したカンロ飴。

当時、アメと言えばドロップなどフルーツ味の輸入品が
多かったため、和風のアメとして消費者の支持を集め
て主力商品に育ったようだ。

しかし、メーンの購買層は今や60歳代以上。

60周年を機に若い世代にカンロ飴を手に取ってもらう
販促を開始。

菓子の新商品は毎年、数えきれないほど出るが市場
に残るのはごく一部。

菓子メーカーにとって定番品は固定ファンをもち安定
した売り上げをもたらす。

定番品の「周年」は、商品の歴史を消費者に伝えると
ともに、次の世代の消費者を呼び込む販促の絶好の
機会。

カンロ飴のキャッチコピーは「ひと粒のメツセージ」。

果たしてメッセージは若い消費者に届くか。

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平成27年10月20日(火)

< マヨネーズ >

日本で初めてマヨネーズを製造したのは、キューピーの
全身「食品工業」で、大正14年のこと。

日本人ほどマヨネーズの好きな国民はおらず世界一か
もしれない。

関東大震災後に日本人の生活が洋風化するのを見た
キューピーの創業者は、キューピーマヨネーズを発売。

戦争で昭和18年3月製造中止。

昭和23年3月に製造を再開し、その後は確実に日本人
の生活に浸透していったようだ。

キューピーのマヨネーズは卵白を使わないので「卵黄
型」と呼ばれ、ご飯との相性のよいのが特徴。

そのキューピーに挑戦したのが味の素。

味の素がマヨネーズの商品化に取り組み始めたのが
昭和40年で、キューピーと異なり卵白も使う「全卵型」。

キューピーと味の素のシェアには開きがあるものの、
市場を食い合うのではなく競争が市場を拡大していっ
たようだ。

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平成27年10月19日(月)

< 都心の闇市 >






平成27年10月20日(火)

< マヨネーズ >

日本で初めてマヨネーズを製造したのは、キューピーの
全身「食品工業」で、大正14年のこと。

日本人ほどマヨネーズの好きな国民はおらず世界一か
もしれない。

関東大震災後に日本人の生活が洋風化するのを見た
キューピーの創業者は、キューピーマヨネーズを発売。

戦争で昭和18年3月製造中止。

昭和23年3月に製造を再開し、その後は確実に日本人
の生活に浸透していったようだ。

キューピーのマヨネーズは卵白を使わないので「卵黄
型」と呼ばれ、ご飯との相性のよいのが特徴。

そのキューピーに挑戦したのが味の素。

味の素がマヨネーズの商品化に取り組み始めたのが
昭和40年で、キューピーと異なり卵白も使う「全卵型」。

キューピーと味の素のシェアには開きがあるものの、
市場を食い合うのではなく競争が市場を拡大していっ
たようだ。

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平成27年10月19日(月)

< 都心の闇市 >






平成27年10月20日(火)

< マヨネーズ >


日本で初めてマヨネーズを製造したのは、キューピーの
全身「食品工業」で、大正14年のこと。

日本人ほどマヨネーズの好きな国民はおらず世界一か
もしれない。

関東大震災後に日本人の生活が洋風化するのを見た
キューピーの創業者は、キューピーマヨネーズを発売。

戦争で昭和18年3月製造中止。

昭和23年3月に製造を再開し、その後は確実に日本人
の生活に浸透していったようだ。

キューピーのマヨネーズは卵白を使わないので「卵黄
型」と呼ばれ、ご飯との相性のよいのが特徴。

そのキューピーに挑戦したのが味の素。

味の素がマヨネーズの商品化に取り組み始めたのが
昭和40年で、キューピーと異なり卵白も使う「全卵型」。

キューピーと味の素のシェアには開きがあるものの、
市場を食い合うのではなく競争が市場を拡大していっ
たようだ。

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平成27年10月19日(月)

< 都心の闇市 >


かって闇市と呼ばれた商店街が池袋駅前から移転した
のが、東池袋にある「美久仁小路」。

この小路の東の方角に、東京裁判にかけられた政治家
や軍人などが収容されていた巣鴨プリズン跡地にそびえ
るサンシャイン60がある。

闇市は終戦後の日本各地に出現した露店市場。

終戦から5日後、新宿駅東口に関東尾津組が作った「新
宿マーケット」が始まりとされる。

米や味噌、野菜など食良品のほか、文房具や傘などの
生活用品が売られていたようだ。

飲み屋も多く、メチルアルコールを混ぜた焼酎などで命
を落とす人もいたとのこと。

昭和21年3月、池袋駅東口前にできたのが「森田組東
口マーケット」。

今は家電量販店や銀行が並ぶ一等地だが、闇市は殺伐
とした雰囲気だったそうだ。

復興が進み物資が流通するようになると、闇市は東京
都によって閉鎖されていったようだ。

当時は闇市なしでは食べていけなかったに違いない。

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平成27年10月17日(土)

< かまど炊きご飯 >


埼玉県所沢市に築100年を超す古民家施設があると
いう。

その施設では、昔ながらのかまどと羽釜でご飯を炊くこと
ができるそうだ。

かまど炊きご飯は、沸騰したら中火で約15分蓋をとらず
にそのままにし、グツグツと鳴っていたのがパチパチとい
う乾いた音になった時に火を落とし10~20分ほど蒸らす
のだそうだ。

かまどと羽釜によるこのような炊飯が普及したのは江戸
時代のこと。

羽釜についたツバは下からの熱を逃がさず、吹きこぼれを
抑える役割があり、煮るだけでなくふっくらと蒸し上げる。

このセットによって、今の炊き方が浸透したようだ。

江戸時代に確立した炊飯は戦後まで続いたが、1955年
に東芝が発売した電気釜で状況が一変。

その後も自動炊飯器は飛躍的に進化し、今では10万円
以上もする高級機能も登場。

そのいずれも、範としているのはかまど炊きご飯。


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平成27年10月16日(金)

< 洋食屋の元祖 >


洋食屋の元祖として知られる「煉瓦亭」は、東京・銀座で明
治28年に創業。

初代は西洋人と比べて日本人の体格が悪いのは、栄養が
悪いからだと考え。西洋料理店を開業しようと横浜で修業。

当時の西洋料理は、ほとんどがフランス料理だったようだ。

銀座でフランス料理店を開業したが、見たこともない肉料理
はすぐには受け入れられなかったようだ。

そこで、日本人の口にも合う天ぷらに似たフライ物とライス
物を考案したところ好評を得た。

フランス料理からはずれるが、手間のかかる温野菜に代
わり、生キャベツの千切りを提供したところ、これが大当た
り。

こうして、今ではおなじみのオムライス、キャベツの千切りを
添えたポークカツレツ、ハヤシライスなどの、日本独特の西
洋料理が完成し、洋食というジャンルを確立。

今も煉瓦亭の料理の作り方とメニューは変わらず、洋食屋
の元祖としての味は、親しみのある懐かしさが感じられる
そうだ。

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平成27年10月15日(木)

< ワーゲン問題 >


実際に路上でディーゼル車を走らせると、排出する窒素
酸化物(NOx)の量は規制基準をかなり上回る―。

EUの規制当局がこんな報告をまとめたは2年前のこと。

フォルクスワーゲンの不正ソフト問題に早くから気づいて
いたらしい。

ところが、この問題をあばいたのは米当局。

なぜEUは自ら動かなかったのか。

一部の欧州メディアは、政治力が当局の不作為を招いた
可能性を指摘しているが。

石油ショックで省エネ機運が高まったのを背景に欧州の
有力な自動車メーカーの多くは、燃費性能に優れるディー
ゼルエンジンを重視する戦略へとかじを切ったようだ。

今、欧州の新車市場でのディーゼル車のシェアは50%
超。

NOxの排出量が多いディーゼルの欠点について各社は、
技術革新で克服したとアピールしていたのだが・・・・。

日本のメーカーで最も影響を受けそうなのがマツダ。

ただマツダのディーゼルは欧州メーカーとは異なり、排出
するNOxの処理装置を搭載せず、エンジンの圧縮比を低
くして、燃料が均質に燃えるようにし、NOxの発生を抑え
ることに成功し、環境規制をクリア。

ワーゲンの問題は、マツダの問題とならないと思うのだが。

今回の問題は、ワーゲンブランドを傷つけ、環境保護に熱
心という欧州のイメージも傷ついたのは間違いない。

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平成27年10月14日(水)

< 東京都心にある老舗うなぎ屋 >


老舗。

それは食べるだけでなく、昔の日本にも出会える空間で
もある。

慶応2年創業のうなぎ屋は、かっての木挽町(現・銀座8
丁目)のビルの合間にあり、敷地を囲む高塀は、現在と
過去、日常と非日常を隔てる境界線。

玄関をくぐると、暗い石畳の廊下、その先に数寄屋造り
の2軒の建物。

手前は2階建て、奥は広間と小間からなる本格的な茶室。

いずれも大正13年に建てられたものだそうだ。

この老舗、創業当初は、剣術の三大道場の1つ、士学館
の刀を預かる留守居茶屋をしていたという。

その後、明治初年にうなぎ店に転身。

うなぎは、別棟の調理場で調理されるようだ。

今や珍しい焼き専門の職人さんが、備長炭の火加減を
見計らい、初代から受け継がれた秘伝のたれにつけなが
ら、じっくり焼いていくという。

蒲焼きはね外はパリッとして、中はふっくら。

甘さを控えのたれと相まって、さつぱりと洗練された味わ
いとのこと。

懐かしい日本を都心の老舗が伝えている。

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平成27年10月13日(火)

< うなぎの蒲焼き >


うなぎの蒲焼きは、うなぎを串刺しにして塩焼きにした
のが始まりとされる。

それを開いて付け焼きにする新しい調理法が生まれた
のは、本場を自任する新しい調理法が生まれたのは、
本場を自任する江戸ではなく上方だったらしい。

その後、18世紀初頭に上方で開発された新しい調理法
が江戸に伝わったようだ。

伝わった当初は上方風に直焼きだったが、上方と違って
江戸の川は流れが緩やかなため、うなぎは泥臭かったよ
うだ。さらに脂肪が強くて肉も硬かったようだ。

そこで江戸では新たに「蒸し」の技術を加え、それによって
余分な脂肪もとれて柔らかくなった。

ただ、蒸しを加えると焼くときに切れやすくなるので4本串
が考案されたらしい。

多くの串を刺すには、背中から開いた方が端の身が厚く
て都合がよいので背開きが主流となったようだ。

この頃が19世紀初めで、ちょうど江戸で関東産の濃い口
醤油やみりんが普及した時期でもあった。

こうして、うなぎの蒲焼きは、江戸前として新しい江戸
の味が完成したようだ。

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平成27年10月9日(金)

< 堀川国広 >


宮崎県綾町入野に刀匠国広の遺跡があるという。

その遺跡は国広の住居跡だそうだ。

国広は綾町の入野古屋地区に代々続く鍛冶屋に生まれ
育ち、後に刀鍛冶として活躍した人物。

日本刀に興味のある人は、あの堀川国広かとすぐにわか
る著名な刀工。

かの土方歳三の脇差も国広。

1586年に制作した「日州古屋住国広作」は国の重要文化
財に指定されている。

当初は飫肥の伊東家に仕えていたが、主家が没落後は
諸国放浪し、晩年には京都の堀川に定住し、和泉守国貞
などの名工を育て堀川一派として大いに栄えたようだ。

ちなみに和泉守国貞も土方歳三の愛刀。

この一門の作は俗に「堀川物」と呼ばれる。

堀川国広は古刀の相州正宗、新刀の国広、新々刀の水
心子正秀と並び称され、中興の三傑とも呼ばれる。

今まで、国広は飫肥の生まれと思っていた。

まさか綾町生まれとは。

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平成27年10月8日(木)

< 八千代座 >


熊本県山鹿市の旧豊前街道の一角に、木造2階建ての
芝居小屋「八千代座」がある。

明治43年の建設だが、江戸時代の歌舞伎小屋の様式を
今に伝えているそうだ。

客席の天井には、当時の雑貨店や履物店などの色鮮や
かな広告が飾られているとのこと。

舞台の天井には「ぶどう棚」と呼ばれる竹を格子状に組
んだものがあり、舞台道具を取り付けたり、格子の隙間
から花吹雪や雪に見立てた紙を散らすという。

舞台袖から床下の「奈落」に階段が続き奈落には歌舞伎
などでスピーディーな場面転換する装置「廻り舞台」があ
るようだ。

八千代座は昭和30年代まで、歌舞伎や活弁付きの無声
映画上映会などで賑わったという。

しかし 昭和40年代に入るとテレビの普及などで、芝居
小屋は休眠状態。

その後修復工事され、平成になると片岡左衛門らが八千
代座で公演するようになったという。

江戸時代の雰囲気の残る、この芝居小屋に歴史のロマン
を感じるそうだ。

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平成27年10月7日(水)

< 下町旅館の「おもてなし」 >


東京の下町にある家族経営の日本旅館(台東区)。

部屋は4畳半と6畳が合計12室。

室内にテレビはなく、2室を除きバス、トイレも付いていない
そうだ。

そんな小さな旅館を目指し世界から旅行者が集まってくる
とのこと。

この旅館はまだ外国人旅行者が珍しかった30年以上も
前から、地道に宿泊を受け入れてきたようだ。

この旅館の特徴は、世間で言われているおもとなしの逆
をするやり方。

相手が誰でも特別な対応は一切しないということ。

日本人でも外国人でも同じ対応し、分け隔てはしないとの
こと。

文化や習慣の違いは違いと認め受け入れることが大切
だそうだ。

この旅館に宿泊する客は、日本の普通の生活をみたいよ
うで、そのためテレビがないとか、部屋が狭いとかいう苦情
はほとんどないとのこと。

それどころか、静かでリラックスできたと褒められるそうだ。

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平成27年10月6日(火)

< 国鉄妻線 >


西都市と宮崎市を結び、田園地帯を走り続けた国鉄妻線は
昭和59年に最後の運行を終えた。

宮崎県に鉄道が引かれたのは大正時代。

国鉄宮崎線(吉松―都城)、宮崎軽便鉄道(赤江―内海)が
開業した大正2年に妻線は飫肥線と共に宮崎県営鉄道とし
て産声を上げたそうだ。

妻線は当初、宮崎―佐土原間で運行。

大正3年に佐土原―妻が結ばれ、大正11年に杉安まで延伸。

大正6年に国有化されて妻軽便線に。

宮崎―高鍋間の開通により、広瀬―杉安間が新区間となり、
大正11年に妻線と改称。

地域住民の足として重要な役割を担っていたが、国鉄再建問
題で、全国の赤字ローカル線廃止が打ち出され、妻線は第一
次対象に。

県や西都市などが反対したものの、国の方針は覆らず。

将来の復活への期待も叶わず、今は線路跡の一部が、自
転車道路として、名残を止めているのみ。

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平成27年10月5日(月)

< スカ >


昭和30年代の子供たちの日課は駄菓子屋通い。

その目的はほとんどは当てくじの駄菓子。

引いた紙ををなめると文字が浮き出すくじ、甘納豆入った
袋の中の番号で景品を当てるくじ、束になった糸を引くくじ
等々。

ところが、何故かそのくじのほとんどが「スカ」。

友だち同士で当たりくじが入ってないなどとぐちを言ったりし
たものだ。

それでも懲りずにまた出かけたのは執念だったのか。

「スカ」はもちろん外れのこと。

語源は諸説あるらしいが、肩すかしの「透かす」「空かす」
・・・・・・。

つまり、間から抜けて外れるというような意味のようだ。

京都、大阪でも使われているようだ。

その頃の子供たちが大人になった時、当たりの少なかった
駄菓子屋での毎日が、その後の人生の予行練習になった
ような気がする。

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平成27年10月3日(土)

< チーズ饅頭 >


宮崎県の菓子で人気が高く、土産の定番でもあるのが
チーズ饅頭。

あんこではなくチーズが入った饅頭で、味や形、食感は
様々。

宮崎県で250店以上もの店が販売しているという。

チーズ饅頭が生まれたのは1980年半ば。

特に有名なのが小林市に本店がある「風月堂」と「南国
屋今門」。

ともにチーズがたっぷり入っており、しっとりとした饅頭の
食感が楽しめるそうだ。

宮崎市内の人気店「わらべ」はソフトケーキタイプで、クッ
キーのようなサクサクした食感が特徴とのこと。

宮崎でチーズ饅頭が広がったのは、新しいものやちょっと
変わったものも受け入れるおおらかな県民性が一因と言わ
れている。

チキン南蛮やすしのレタス巻きが県民食として定着しており、
チーズ饅頭もその一つだとされる。

チーズに白あんやマンゴーを組み合わせたり、蒸パン生地
で包んだりと、ここ数年でチーズ饅頭はどんどん多様化して
いるようだ。

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平成27年10月2日(金)

< 北渓井抗(ほっけいせいこう) >


長崎港から南西15キロに浮かぶ高島は、周囲6キロの
孤島。

その島に築かれた北渓井抗は、石炭採掘でいち早く
近代化を成し遂げたそうだ。

高島の石炭産業は江戸時代に始まったようだ。

島を管理する佐賀鍋島藩は18世紀初頭に採掘事業を
始めたという。

幕末に、英グラバー商会は佐賀藩と、英国人技術者を
呼び寄せ、ヨーロッパの採掘技術を持ち込んだ。

坑外に設置した蒸気機関が巻き上げ機の動力源となっ
て、炭を入れた箱を上下させたという。

さらに坑内には扇風機で空気を送り込み、地下水の排水
も蒸気ポンプで行ったという。


北渓井抗で採掘した石炭は長崎港を出入りする欧州の
蒸気船の燃料に使われ、一部は上海に輸出されたそう
だ。

明治9年、坑道に地下水が浸入し廃坑となる。

北渓井抗の稼働期間はわずか7年だった。


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平成27年10月1日(木)

< 三重、世界へ >


今、三重県では英虞湾(あごわん)の賢島で、2016年5月
26、27日に開催予定の伊勢志摩サミットに向け、国内外
への情報発信に力を入れているようだ。

三重県にとって、サミットは三重県を世界に発信する千載
一遇のチャンス。

複雑に入り組んだ入り江、点在する大小50余りの島々―。

とりわけ英虞湾の夕暮れ時は美しいとのこと。

作家の山崎豊子は小説「華麗なる一族」の冒頭シーンで
英虞湾の黄昏を書いている。

その舞台となったホテルは英虞湾に浮かぶ賢島の高台に
1951年に開業したもので、サミットでも主会議場になると予
想されている。

サミットでは、伊勢神宮をはじめとする伝統文化や豊かな
「食」の魅力、ものづくりで培った技術力をアピールするそ
うだ。

「食」では伊勢エビやアワビなど地元食材を使ったおもてなし
メニューを。

技術力では次世代自動車で関係者のおもてなしを。

サミットに向け、三重県では官民あげての構想力が問われて
いるようだ。

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